おはようございます。
なんか仕事外の時間でブログを書き始めたら、楽しくなって毎日書いてますw
今回はカンパチジギングのフック編をお送りしますがフック=その当時のルアーアクションが綿密に関わっています。
私の経験してきた過去の移り変わりをみながらお話しさせて頂きます。今はアシストフック&リアフックは常識ですが、カンパチジギングのフックはトレブルフックから始まりました。
時は遡り、1995年前後だったと思います。今から24〜25年前になります。
ブラックバスから釣りを始めた私は、その数年前から海の釣りの魅力に惹かれ始めてました。
シーバスのファイトに感動し、シイラのジャンプやその力強さに驚かされてました。
相模湾のシイラやカツオやメジマグロ、時にはキハダマグロに月に数回、6月〜12月前半くらいまで通ってました。
しかし、だんだん近海の釣りに満足出来なくなり、より引く魚、より大きな魚に惹かれていってました。
その当時、別の店舗で働いていた先輩の現中村軍曹さんは銭洲エリアのカンパチジギングのパイオニアでした。
その尊敬する中村軍曹さんに誘われたら断れません(笑)ここで奄美大島にカンパチを釣りに行った事が私の遠征人生の第一歩となりました!
その準備は大変だったことを憶えてます。なぜなら、当時のスプリットリングはすぐ伸びたので、1本1本溶接してくっつけたり、ジグも200g以上のジグが存在しませんでしたので、ジグ同士をくっつけたり、もうバタバタでした。
しかし、今でも忘れないくらい、楽しい遠征準備でした。あのワクワク感は今でも変わりませんが、未知の世界への挑戦は本当に楽しいものです。残念ながら最初の遠征は、カンパチは釣れず船酔いに負けて、小型のキハダマグロだけなんとか釣ってきただけでしたが、他の人がカンパチを簡単に釣る姿を見て逆に燃えました。ww
その当時は、今ではスロージギングで有名な佐藤さんが提唱するスパイラルジャーク、ハイピッチショートジャークが一世を風靡してました。
簡単に説明しますと、魚の習性を研究して、ルアーをスパイラルに動かすアクションで魚を喰わせるメソッドでした。
この当時は、ほとんどのジグがリアバランスで、フックもリアフックのトレブルフックのシステムでした。
このアクションであれば、このフックシステムは意外に理にかなっていたと思います。
その当時から一緒に行ってました堀内氏はトレブルフックのみで、イソマグロの55キロもキャッチしましたし、私もスキルジグの13オンスでGTの45キロをキャッチする事ができました。
奄美で安定してカンパチが釣れるようになり、八丈島で13キロのカンパチを釣って、ジギングに少し自信をつけた時にその革命的なフックシステムを耳にしました。
1999年くらいだったと思いますが、いつもの様にカンパチ遠征で、ワールドマリン奄美に着くと茂木さんがいらっしゃってて、荷物を降ろすのを手伝ってくれました。その時にこう言われました。
「吉田くん、トレブルフックの時代は終わったよ!今からはアシストフックの時代だよ!」
そうやってフックの頭にシングルフックが1本ぶら下がっているジグを見せられました。ポカーンとしてしまいましたが、これが僕の中のトレブルフックからアシストフックへの移り変わりの出来事でした。
アシストフック時代に続く...
画像は、20年前の画像からお送り致しましたwwみんな若い!